鶏肉本来の歯応えと旨味が
ストレートに伝わる一品
鹿児島では、昔から鶏肉を使った料理が身近な存在であった。薩摩藩内で盛んだった闘鶏で負けた鶏をその場で締めて食べるという風習があったこと、江戸時代から家々で鶏を飼っており、祝いの席などでそれを締めて食べていたことなどの話も伝わっている。そんな中で、鶏肉を生で食べる習慣が根付き、今も続いているようだ。闘鶏用として生まれた『薩摩鶏』の血筋を持つ『さつま地鶏』『さつま若しゃも』『黒さつま鶏』といった品質の高い地鶏も開発されている。
完全に生の鶏肉を使う刺身や、湯や酒にくぐらせるなど表面だけを処理した鶏肉を使う刺身もあるが、鹿児島で『地鶏の刺身』と言えば、皮付きの鶏肉の皮面だけを炙った後、そぎ切りにしたもの(一般的には『たたき』と呼ばれる料理)を指すことが多い。添えられるのは鹿児島で好まれるまろやかな甘口醤油と薬味のおろしニンニク、おろしショウガ、柚子こしょうなど。鶏肉の旨味には甘口の醤油がよく合い、ムネ肉、モモ肉、ササミ、砂ズリといった部位によって異なる食感と鶏肉本来の旨味がよくわかる。芋焼酎との相性もいい。特に新鮮な状態でしか提供されることはないが、“山ウニ”とも呼ばれるほど濃厚な『肝刺』を食べられる店もある。
鹿児島の歴史に詳しく、多くのテレビ番組の時代考証なども務める鹿児島県立図書館館長・原口泉さんに、鶏の刺身にまつわる鹿児島の風土についてお話をうかがった。
●闘鶏と鶏食について
「鹿児島では江戸時代から盛んに闘鶏が行なわれていました。これは薩摩武士の風習で士風高揚のために行なっていたのです。その際に負けた鶏はその場で締めて食べていたのですよ。現在よりも衛生的には悪い状況だったと思いますが、締めてすぐという新鮮なものですから、生で食べても問題はなかったのでしょう。江戸時代初期には闘鶏用に『薩摩鶏』〜シャモと小国(しょうこく)という品種のかけあわせ〜が作られています。現在、鹿児島では『薩摩鶏』の血筋をひく地鶏(さつま地鶏、さつま若しゃも、黒さつま鶏など)も生まれていますね。ちなみに、薩摩藩を中心に伝わった古流剣術『示現流(じげんりゅう)』から派生した『薬丸自顕流(やくまるじげんりゅう)』のかけ声は『トゥトゥトゥ』という感じでまさに鶏です(笑)」。
●庶民と鶏食について
「闘鶏は賭け事の対象となるためにやがて禁止されましたが、庶民の娯楽として絶えることはありませんでした。また、明治時代の文献には、鶏は各家庭で放し飼いにされ、卵を食べており、来客や正月や祝いの席などの時にはごちそうとして食べていたという記録が残っています。自分の家で飼っている鶏のことを『野菜』とも呼んでいたそうですよ。放し飼いですから、よその家の畑を荒らすこともあったようですが、そこは“お互いさま”ということでみんな大目に見ていたようです。これを「鶏法度」といいます。シラス土壌の鹿児島では土砂災害を防ぐために家の裏には竹林があることが多いのですが、それも鶏の絶好の放し飼いの場ということになりますね。また、江戸時代、牛、馬、米などには課税されていた記録がありますが、鶏にはありません。鶏は豚と同じように自給の食料だったからでしょう。このように、鹿児島に住む人々と鶏は昔から深いつながりがあるのです」。
●鶏料理について
「日頃は質素な食事をしている中、特別な日のごちそうとして鶏料理が食べられていました。刺身、煮込み料理、薩摩汁、鶏飯などすべてを無駄なく使って料理をしていたようです。鶏の刺身もずっと食べられ続けている料理です。鹿児島では『といのさしん』という発音をしています。鶏を生で食べる文化は世界的に見て日本だけ。鶏を生で食べることは日本独特の食文化だと言えますね」。
闘鶏用として生まれた『薩摩鶏』の血筋を持つ地鶏がよく使われている。部位は、ムネ肉、モモ肉、砂ズリなどだ
鹿児島では、皮面だけを炙ってそぎ切りにしたものが多い。湯や酒にくぐらせるなど表面だけを処理した鶏肉を使うこともある
タレは鹿児島で好まれる甘口の醤油が使われる事が多い。薬味はおろしニンニク、おろしショウガ、柚子こしょうなど
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