昆布の旨味と歯応えに酒もすすむ
祝いの席にも欠かせない健康料理
クーブ(昆布)をイリチーする(炒め煮する)ことからこの名前がついた。沖縄では、江戸時代から中国の清との交易で昆布が流通していた。そのため、出汁をとることをはじめ、昆布を使った料理が数多く存在する。『クーブイリチー』も、出汁をとった昆布を有効に利用するために作られたのが、元々の始まりのようだ。また、しっかりと熱を加える料理法は、熱い沖縄で料理が傷まないようにするための知恵でもあった。
出汁をとった後でも昆布には、旨味がたっぷりと残っている。その昆布に、豚肉、切り干し大根、コンニャク、ニンジンなどの具材を加えて炒める。昆布やカツオ出汁に塩や醤油を合わせ、薄めの味付けで炒め煮していく。控え目の塩分が昆布の旨味をより増幅する。シャキッとした昆布の食感に、食も酒もすすんでいく。さらに、昆布はカロリーが低く、ヨードを多く含むアルカリ性の食品で、食物繊維も豊富。“もったいない”から生まれた料理は、すばらしい健康料理でもあったのだ。
『クーブイリチー』は、沖縄では縁起物として祝いの席には欠かせないという料理。健康に良い料理を、みんなで笑いながら楽しむ。沖縄のおじぃ、おばぁたちが元気な理由の一つがここにあるようだ。
沖縄では昆布は採れない。なのに、なぜ昆布を使った料理が昔から食べられているのだろうか?そこには幾つかの理由が存在するようだ。
●その1〜清との交易
沖縄本島は、1429年〜1871年の間、琉球王国の中心地であった。ヨードを多く含む昆布を薬として必要としていた中国の清(1644年〜1912年)へ、薩摩藩は昆布を輸出していた。琉球王国は薩摩藩と清の貿易の中継地点であった。そのため、琉球王国に昆布が入り、その一部が王朝料理の食材となり、やがて庶民も食べるようになったようだ。江戸時代、日本と海外の窓口は長崎・出島だけであったが、事実上、薩摩藩は琉球王国を通じて清と貿易を行なっていたのだ。当時、那覇には薩摩藩の昆布取引所である『昆布座』が設けられていた。
さて、鹿児島も昆布の産地ではないが、薩摩藩は特産の黒糖を昆布と換えていたのである。薩摩藩は昆布と引き換えに美術品など様々な物を輸入し、それを国内でお金に換えていた。その財力が明治維新の源でもあったという。
●その2〜富山の薬売りの存在
置き薬で知られる『富山の薬売り』は薩摩でも薬を売っていた。清には彼らにとって必要であった漢方薬の原料がある。それを昆布と引き換えに手に入れたかったのだ。富山は、江戸時代に日本海で活躍した北前船の寄港地であり、北海道産の昆布が豊富にあったのだ。『富山の薬売り』の存在も、琉球王国で昆布が食べられるようになった理由の一つと考えられている。
主役である昆布に加えて、豚肉は欠かせない。その他、コンニャク、チキアギ(カマボコ)、ニンジン、切り干し大根などがよく使われる
基本的には、昆布出汁、塩、醤油などで薄味に仕上げる。昆布そのものから出る旨味も味付けの一部となっているようだ
すべての材料を一度炒めた後、塩や醤油などで味を整えた出汁を加えて、水気がなくなるまで炒め煮していくのが基本的な作り方
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