基本的な材料は、鶏、水、塩。通常の食肉用よりも長期間育てた鶏を丸ごと使い、時間をかけじっくりと煮て澄んだスープを作る
トッピングの具材の中心が鶏肉。もも肉や胸肉を手作業で丹念に裂いて細くしていく。スープを作る時に使った鶏肉も使われる
鶏肉に加え椎茸、錦糸卵は欠かせない。パパイア漬けなどの漬け物や、タンカンの干皮などを入れて柑橘類の風味を加えるのも特徴
「私の母は鶏のスープをつくるのがとても上手だったんです。奄美にはお正月に三献(さんこん)という3つの料理を食べる習慣があります。それは雑煮、刺身、そして鶏のスープ。そのスープがとても美味しかったんです。絶対におかわりしてました。お正月や風邪をひいた時などにしか食べられない特別な料理だったということもありますが(笑)。私の鶏飯のベースは祖母が作っていた味ですが、スープは母の味を作り続けているんだと思います」。
『くつろぎレストラン 瀬里奈』の久留ひろみさんは、小さい頃から大好きな鶏スープの味を作り続けている。それは鶏飯という料理の命でもある。
「材料は基本的に、鶏と塩だけです。鶏は島内の笠利から取り寄せています。南さんという方が、飼育期間、エサ、飼育方法にこだわって育てた『奄美赤鶏』。エサは発酵食品で元気に育ち肉もくさくないですね。鶏は2年間育てた鶏飯のスープ用です。肉を焼いたりして食べるのには向いてないですが、肉に脂がまいてて、いいスープがとれるんですよ。丸鶏をさばいて血抜きして8時間煮込みます。夏場と冬場では鶏の状態も違うし加減しながらやりますね。炊く時に、強い火でグツグツやるとスープが濁ってくるんです。弱火でポコポコって感じかな。そのうちに、『金種(きんだね)』というきれいな泡がポツポツとあがってくるんですよ」
そうやってできあがる鶏スープの味付けは塩を加えるだけだ。
「母親が塩にこだわっていたから、私もずい分と考えました。使っているのは、与論島の関口さんが海水から作っている天然塩『じねん』です。化学調味料など一切使用しない黄金色のコラーゲンスープです!!」。
そして、スープにはもう一つ大事なものが加わる。それは、『てぃあぶら』。
「直接的には手の油ということなんですが、愛情という意味合いですね。『てぃあぶらが効いてて美味しい』みたいな言い方もあるんですよ。鶏飯が美味しかったという記憶が残っているのは、私の母も祖母も『てぃあぶら』たっぷりの鶏飯を作ってくれていたからだと思います。私もそれを目指しているんです」。
アツアツのごはんの上に具材をのせてスープをかけていただくのが鶏飯。おひつに入ったごはん、スープ、具材と別々に出されるが、具材ののった皿はにぎやかだ。
「私の鶏飯は、色もカラフルでモダンだと思います。鶏肉を裂いたもの、椎茸、薄焼きたまご、クコの実(通常は紅ショウガが多い)、アオサ、海苔、ネギ、パパイア漬け、生の柑橘類の皮を刻んだもの。7種類の具材が鶏飯の基本なんですが、私のは多すぎるかな?(笑)。紅ショウガの代わりにクコの実を使うこと、アオサを入れること、香りがより立つように、柑橘類の皮は生を使うところは、私の特徴かもしれませんね。今日は柚子皮を使っています」。
トッピングする裂いた鶏肉は、スープ作りに使った鶏とは違うものだ。
「胸肉とモモ肉を、カゴみたいなものの中に入れて、スープ作りをする鍋の中に入れます。1時間ほど一緒に煮込んだらひきあげて、少しさましてから手でさくんです。少し赤味を帯びているのがモモ肉ですね」。
自家製のパパイア漬けは、熟す前のものを洗って切り、米味噌に漬ける。
「パパイアは熟す前に親が漬け物にしてました。熟すまでおいておくと、鳥に食べられてしまうこともあったようです。パパイアの木もバナナの木もパイナップルの木も、鶏小屋も家の庭にありましたから、なんでも自家製でした。どこの家もそうだったと思いますよ」。
鶏飯が、各家庭でも作られていたことがわかるエピソードだ。
ごはんに具材をたっぷりのせてスープをかけていただく。上品な鶏スープは滋味深い味わい。それぞれの具材の旨味の中で、柚子皮の風味も爽やかだ。
「奄美は徐々に注目を浴びてきたエリアなのではないでしょうか。大島紬、島唄ときて、次は鶏飯の番じゃないかな(笑)」という久留さん。現在、『鶏飯のルーツ、そして未来』という鶏飯に関しての本を執筆中だ。
「日本は出汁の文化なのに、鶏飯は鶏のスープですから、そのルーツは中国・アジアじゃないかと思うんですよ。飛んでいる鳥を改良して家畜にした鶏のルーツはラオスと言われていますが、それが、中国、琉球へと料理とともに伝わったのではないでしょうか。琉球王朝時代に、宮廷料理として鶏飯に似た菜飯(セーファン)という料理があります。これはごはんの上に煮汁で煮た野菜をのせて、出汁をかたけものです。宮廷料理の〆の一品だったようですね。そして、琉球王国が奄美に攻めんこんできた時に、島の北側の笠利に陣取っているんです。その時に鶏飯の元の形も伝わったのではないでしょうか。やがて薩摩藩の統治下におかれ、薩摩の代官たちが来た時、『琉球から習った、私たちにできる最高の料理』ということで鶏飯を出したのではないかと、私は思うんです。薩摩藩が来たのは1609年ですが、琉球統治の時代からだと考えると、奄美における鶏飯の歴史は500年は軽く越えていますね。琉球では上からかけるのは出汁だから、鶏のスープを使った奄美の鶏飯はより中国・アジアの料理に近いと言えそうですね。ちなみに、沖縄には鶏肉入りのジューシー(炊き込みごはん)に出汁をかけた鶏飯(ケーファン)もありますし、鶏肉の代わりに豚肉を使った豚飯(トゥンファン)という料理があって、今も食べられていますね」。
2009年、農林水産省が選定した『郷土料理百選』で2位を獲得するなど、鶏飯は近年さらに人気が高まっている。また、鹿児島県では給食のメニューにも出され、カレーやハンバーグと並んで人気だという。なぜ、人気が高まっているのだろう?なぜ子どもたちに好かれているのだろう?
「鶏のスープはくせがなく誰でも食べやすいということと、トッピングが豊富でおもしろいことが理由なのではないでしょうか。次の世代の子どもたちに好かれているのはうれしいですね。今からの時代、基本的なものは守りつつ、工夫があってもいいかもしれないですね。私たちも、白米ではなくて雑穀米のごはんで鶏飯を作ったこともありますよ」。
多くの人に愛されている鶏飯を、世界に向けても発信していきたいという久留さん。
「鶏のスープは、身体にやさしい、いいスープです。ヨーロッパに行った時、あるお母さんに、『子どもが風邪をひいたら、何を作りますか?』と尋ねたら、答えは『上質なチキンスープ』だったんですよ。私も風邪の時に母親に作ってもらっていたし同じですね。栄養豊富で疲労回復にもなる。鶏のスープはアジアはもちろん世界で食べられていて、世界に通じているものだと思うんです。鶏飯をもっと発信して広げていきたいですね」。
島内の笠利から取り寄せた『奄美赤鶏』は、2年間育てた鶏スープ専用。弱火で煮込み、塩だけで味付けした黄金色の透明なスープだ
カゴに入れた鶏の胸肉とモモ肉を、スープ作りをしている鍋の中にいれて、1時間ほど煮込む。鍋からひきあげた後、手で裂いていく
鶏肉、椎茸、錦糸卵、海苔、ネギ、パパイア漬けに加えて、こちらならではのアオサ、クコの実、生の柑橘類の皮を刻んだものも入る
昭和49年オープン。洋食やカフェメニューが並ぶ中、本格的な鶏飯も食べられる。スープ専用に育てられた鶏を8時間煮込んで作る鶏スープはとても上品な味わいだ。こちらならではのアオサ、クコの実なども具材に加わり、さらに滋味深い。鹿児島市内にあり奄美料理を提供している姉妹店『新穂花ドルフィンポート店』でも、同じ鶏飯を食べられる。