2023.04.28

焼酎がより広く愛されるために、開発された紫芋がある。

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さつまいもの品種開発の側面から、
赤霧島の誕生に迫る。

「赤霧島は、本当にすごいんだよ。焼酎なのかと疑ったね。これならいけると確信したよ」赤霧島の原料芋である『紫優(ムラサキマサリ)』の開発をはじめ、さつまいも研究の第一人者である山川理博士は、当時の衝撃を思い出し、興奮を抑えられない様子で語った。

山川博士と霧島酒造との出会いは、1972年ごろまで遡る。宮崎県都城市でさつまいも研究を行なっていた山川博士は、そのとき初めて霧島酒造の焼酎を口にした。芋臭さを感じない味わい。すっきりとした飲み心地。焼酎の新たな可能性に、驚きと手応えを感じたそうだ。
当時、都城市で年に一度、焼酎会社が情報共有をする場があり、山川博士はさつまいもの民間企業との共同活用を進める役割のもと、会議に加わった。そこには、霧島酒造も参加していた。意見交換が盛り上がる中、山川博士は意を決してこう言い放った。「『黄金千貫(コガネセンガン)』ばかりで焼酎を造っていたらだめだ。もっといろんな品種を使って九州以外でも受け入れられる焼酎を造らないといけない」会場は一瞬にして、静まり返る。「焼酎造りを知らない研究者が余計なことを言っている」そんな雰囲気に包まれた。
しかし、これが焼酎文化圏外でさつまいもの研究者としてキャリアを重ねてきた山川博士の“率直”な意見だった。
1966年に品種登録された『黄金千貫』は南九州の焼酎造りにおいて重宝されてきたが、焼酎の未来を想うと、他の品種にも目を向けて欲しい。これまでにない味わいをつくり、焼酎を飲み慣れていない九州以外の地域も開拓していくべきだ。山川博士は、そう思ったのだ。

焼酎原料の代表格「黄金千貫」

月日は流れ、1991年頃。山川博士に国からさつまいも栽培のニーズの立て直しの任務が課せられた。そこで提案したのは、それまでの主流とは違う、色素用としての紫やオレンジなどの肉色を持つさつまいもの開発だった。
「僕はあんまりこだわらないタイプなんだよね。いくら伝統があったって、将来があまり望めないと思ったらさっさとやめるよ、新しいことしか興味ないから」
この挑戦は、長い間デンプン用さつまいもの開発が主流だった九州では大きな変化だった。しかし、与えられた時間は長くはない。

「普通、育種には10年くらいかかるところを、それじゃ待てないから3年から5年でやってほしいと言うんだよ。これは僕が責任を持ってどんどん進めていかないと間に合わないと思ったね」
ひたすら交配していくしかない。気が遠くなるような作業に没頭する覚悟を決め、繰り返しの作業を続ける日々。
そして、ついに、それは現れた。アントシアニン色素由来の鮮やかな紫色で香り高い品種『アヤムラサキ』だ。驚くことに、このアヤムラサキは色素を持たない品種との掛け合わせで生まれたものだった。ひたむきに行ってきた交配が、功を奏した。

「ムラサキマサリ」系統図

色素用として開発したアヤムラサキだったが、当時の需要は微々たるもの。市場で広がる望みは薄かった。視点を変えるしかない。
山川博士は、新品種での焼酎造りに積極的だった霧島酒造と組み、焼酎原料としてのテスト製造をはじめた。色素用としては素晴らしいアヤムラサキも、焼酎の原料としては不向きだった。エグみがあり、鉄のような香りが出てしまう。形もムラがあり扱いにくい。だからと言って、立ち止まってるわけにはいかない。
山川博士は、焼酎造りに適するものができるまで根気良く品種改良を続けた。何度も何度も試行錯誤し、新品種が出るたびに醸造試験を実施。そんな数々の失敗を積み重ね、『紫優』は誕生したのだ。焼酎原料として、アヤムラサキを大きく上回る出来だった。

霧島酒造の開発陣も、6年もの歳月をかけ粘り強く商品化を目指し続け、ついに赤霧島が完成。出来上がって早々に山川博士にも振る舞われた。
普段お酒を飲まない山川博士も、その香りの良さと甘さ、柔らかな飲み口に感激するほどの仕上がりだった。
今や赤霧島は、その味わいから、幅広いお客様に愛される商品になっている。それはかつての会議で、山川博士が目指すべきだと発言した姿に重なる。

『紫優』は、山川博士が時間をかけて成し得た研究の成果だ。その大切な品種をなぜ霧島酒造に託してみようと思ったのかを尋ねると、こう答えた。
「結局は誠実さなんです。霧島酒造の社員さんだけが、ものすごく粘り強く僕に相談し続けてくれた。預けた品種に関するフィードバックも必ずしてくれて、この人たちなら大丈夫だろうと思えました」
懐かしみながらそう語る表情からも、両者がつくりあげてきた信頼関係が伝わってきた。

“人が歩いた道に宝物はない”と山川博士は言う。霧島酒造に赤霧島という宝物をもたらしてくれたのは、山川博士の誰も歩いたことのない未来を見つめる姿勢だったのだろう。

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