ビールのことは、何も知らなかった。だから、造れたビールがある。
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焼酎メーカーのクラフトビールへの挑戦。
託されたのは二人の若手だった。
1996年、霧島酒造はビール事業への参入を決定した。
社としての前代未聞の挑戦に抜擢されたのは、なんと28歳と22歳の若手社員だった。
右も左も分からない中、ただひたすらにビールと向き合った日々を当時開発に携わった大山卓也と牧一博が語ってくれた。
1960年代、アメリカで起きたブームを発端に、クラフトビールは世界中でムーブメントを起こしていた。
その波は日本にも広がり、霧島酒造も1996年10月にビール事業に参入。
1997年度に入社した牧にとって、それは突然の出来事だった。
「焼酎の会社に入社したつもりが、いきなりビールの担当だと言われて驚きました」と牧は語る。
当時の主流は、クリアな味わいの下面発酵のラガービール。発酵温度が5~10℃と低温のため、温度管理が難しい性質がある。
一方で香りが強くコクがあるのが、上面発酵のエールビール。発酵温度15〜25℃とラガービールに比べると高温のため、製造管理しやすい性質がある。
霧島酒造のビール造りはエールビールで挑戦することとなった。ただし、一般的に飲みなれておらず、クセが強いなど、色々な意見があった。
社内でも、戸惑いの声が多いなかでの船出となった。
大山と牧は、ビールの担当になったものの、そもそもビールの造り方さえ知らない状況だった。
そこで1997年9月から、ビール醸造技術習得のためにイギリスで約3週間、オランダ、ベルギー、ドイツで約1週間の合計1か月を海外で過ごすことになった。
これが、霧島酒造として初めての海外出張となる。
大山は、「現地での毎日は、初めて見聞きするものに溢れていましたね」と楽しそうに話してくれた。
ドイツでは色とりどりのビールを、ベルギーでは、フルーツビール、スパイスビール、ランビックなど多くの種類のビールを様々な形状のグラスで飲み、ビールの奥深さを知った。
イギリスで飲んだ、一杯ずつハンドポンプで提供されるビールも印象的だったという。
日本で出すと怒られてしまいそうな、炭酸感が無く少しぬるいビールで、初めて飲んだ時には「これがビールか!」と驚いたが、本場の空気感のせいかゴクゴクと飲めてしまい、とてもおいしく感じたそうだ。
イギリスでは、実作業も経験。煮沸釜の中に入りホップを掻き出す作業は、釜の中が高温できついものだった。
牧は「ホテルに帰るとすぐに気絶したように眠ってしまっていました」と当時を懐かしむように語る。
翌日現地の人にその話をすると、ホップには安眠作用があり、枕に入れて寝ている人もいると言われ、納得したこともよく覚えているそうだ。
また、ビールそのものだけでなく、ビールと生活が密接に関係している街の文化も体験することができた。
ビールの樽を転がすという地元の祭りに急遽参加することになったのだ。日本人としては初めての参加だったらしく、地元紙にも掲載された。
そんな刺激的な日々の中でも、常に頭の中には霧島酒造の社員としての意識があり、焼酎メーカーが造るビールの意義について考えることも多かったという。
今でも昨日のことのように思い出せる、ビールにどっぷりと浸かった特別な時間はあっという間に終わった。
帰国後も、ビール製造設備に加え、レストランやショップを併設する「霧の蔵ブルワリー」建築などの準備に追われる日々が続いた。
そして迎えた1998年7月1日、直営の観光施設である霧島ファクトリーガーデン(現在の「焼酎の里 霧島ファクトリーガーデン」)の「霧の蔵ブルワリー」はオープンを迎え、ついにビールの提供が始まった。
造り手のこだわりの強いクラフトビールらしさを強調し、ナショナルブランドのビールとの差別化を図るために、幅広く個性的なバリエーションを揃えた。
その中には、宮崎県の特産品である「日向夏(ひゅうがなつ)」を使った発泡酒もある。これは、地元の特産品を使って何か造れないかを考え、試作検討を重ねたものだ。今でもラインアップの一つとして販売されているほど根強い人気を誇る商品となっている。
ビールの担当に任命された日から、「自分たちが開発しているのは焼酎メーカーである霧島酒造のビールだ」というプライドと責任を感じていたからこそ、無事に開業を迎えた日はとても感慨深かったという。
二人は、霧島ファクトリーガーデンは霧島酒造の広告塔だと認識してきた。
焼酎の品質を疑われるような製品を造ってはいけない。
「霧島」のブランドを傷つけるわけにはいかない。
決して小さくないプレッシャーを乗り越えられたことは、二人にとってだけではなく、霧島酒造にとっても大きな一歩となったのだ。
手探り状態のなか進み続けたビール事業も、今では社に、街に、馴染んできた実感もある。
こだわりや造り手の思いが詰まったクラフトビールが、自分へのご褒美や、特別な人へプレゼントしてもらえるような商品であってほしいと願っている。
「若い頃の私のように焼酎が苦手な人たちでも、ビールをきっかけに、コミュニケーションの場を楽しんでくれると嬉しい」と牧は語る。
焼酎の会社が、本格的なビールを造る。
予想だにしない彼らの挑戦が、今にまで続くビール事業の礎となったのだ。
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