2025.02.28

20年ぶりの麦焼酎、米焼酎。今だから造りたい味わいがあった。【前編】

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競合ひしめく麦焼酎と米焼酎。
市場のなかに見出した、霧島酒造らしさとは。

芋焼酎のイメージが強い霧島酒造だが、実は麦焼酎や米焼酎の歴史も深いことをご存知だろうか。

話は1980年代に遡る。
当時、第二次焼酎ブームの到来により焼酎の消費量が大きく膨らんだ。霧島酒造は地元宮崎を中心に福岡でもじわじわと売り上げを伸ばしていたものの、全国に広がるほどの売り上げではなかった。

この第二次焼酎ブームの主役となったのは、麦やそばなどを原料とする穀類製焼酎だ。
当時も霧島酒造の主力商品は芋焼酎。しかし、原料のさつまいもの収穫期である秋から冬にかけての100日程度しか芋焼酎の製造ができず、生産に必要な人員の雇用期間を限らざるを得ないという経営的な課題があった。
これらが穀類製焼酎への本格的な参入のきっかけになる。
今後は、麦焼酎やそば焼酎に続き、米焼酎がヒットするのではないかという予想を立て、1983年には、本格米焼酎「白霧島」を発売した。

※2015年発売の本格芋焼酎「白霧島」とは異なる

1983年に発売した本格米焼酎「白霧島」

霧島酒造初の麦焼酎は、1984年に発売された「むぎ焼酎『ほ』」である。原料には、東北産の大麦を使用。特に広島での販売促進に力を入れた。
1987年には「むぎ焼酎『ほ』」をホワイトオーク樽に貯蔵して木の香りを加えた熟成貯蔵麦焼酎「『ほ』グリーンラベル」を発売。
さらに1990年には博多の名物ともいえる屋台での提供に限定した麦焼酎「博多の屋台」、1992年には麦焼酎「博多うまいものはうまい。」も発売した。
黒霧島を発売した1998年には麦焼酎「麦飯石」、2000年に米焼酎「花懐石」を発売。
しかし、黒霧島がブームに乗った2000年代以降は、お客様のニーズに応えるため、芋焼酎の開発に力を入れていくこととなる。

霧島酒造の穀類製焼酎ラインアップ

それから時が経つこと20年。
2023年9月、霧島酒造に久しぶりの麦焼酎と米焼酎が誕生した。
「本格麦焼酎 霧島ほろる」と、「本格米焼酎 霧島するる」だ。
霧島酒造が、このタイミングで麦焼酎と米焼酎の開発に挑んだその想いについて、開発チームのリーダーである企画室の大岩達郎に話を聞いた。

「きっかけは、発売から40年近く経ったむぎ焼酎『ほ』のリニューアルの検討でした」と大岩は語る。
「改めてむぎ焼酎『ほ』の味わいを分析してみると、芋焼酎で様々な造りの工夫や経験を重ねてきた今なら、当時とは違う形で良いものを造ることができると感じました。『黒霧島』をはじめとする芋焼酎と肩を並べられるような麦焼酎、米焼酎造りに挑戦したいという想いが生まれてきたんです」。
芋焼酎にこだわり続け、たくさんの商品を開発してきた過程で培った膨大な研究データや技術、経験がある。
もともと研究開発部に所属していた大岩だからこそ、その挑戦はより魅力的なものに感じられた。

むぎ焼酎「ほ」

とはいえ麦焼酎や米焼酎に関しては、分からないことも多い中での挑戦だ。
「芋焼酎のプロは社内にたくさんいますが、開発当初、麦焼酎や米焼酎に関して知見の深い社員も少なくなっていたなかで、世の中に自信を持って送り出せる焼酎ができるのかという不安は常にありました」。
同じ焼酎と言えど、市場の状況は芋焼酎とは全く異なる。開発チームは様々な穀類製焼酎を利き酒する中で、ある事実に気付いた。
「麦焼酎や米焼酎は、飲みやすさを重視し、その原料の特性を抑えた商品が多いと気付きました。当社の芋焼酎造りでは原料由来の味わいを商品の大切な要素として捉えてきたので、その考え方や技術を応用すれば、霧島酒造らしい、霧島酒造にしか造ることのできない麦焼酎や米焼酎になるのではないかと思いました」。
飲みやすさと原料のうまみが両立する自然な味わい。
めざす先が明確になり、“霧島酒造らしさ”を活かした酒質開発が動き出した。

2025年3月公開予定の「20年ぶりの麦焼酎、米焼酎。今だから造りたい味わいがあった。【後編】」へ続く

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