「本格焼酎」は、ただの分類ではない。 焼酎に人生をかけた男の誇りだ。
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「本格焼酎」この言葉は、
霧島酒造から生まれた。
今となっては馴染み深い「本格焼酎」という言葉は、1957年に二代目の代表取締役社長を務めていた江夏順吉の強い思いが生んだものだ。
1953年、税制改正によって「甲類・乙類」という焼酎の蒸留法による分類が定められた。
蒸留とは、二次もろみを沸騰させ、出てきたアルコールを冷却し、うまみが凝縮した焼酎を取り出す工程のこと。
この分類について詳細を説明すると以下のようになる。
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分類 | 蒸留 | 蒸留回数 | 特長 |
---|---|---|---|
甲類 | 連続式蒸留 (欧州から伝えられた技術) |
複数回 | アルコールの純度が高く、さっぱりとした味わい。 新式焼酎とも呼ばれる。 |
乙類 | 単式蒸留 | 1回のみ |
原料の香りやうまみ成分が生きている。 旧式焼酎とも呼ばれる。 |
加えて、「甲乙つけがたい」などと言われるように、「甲乙」は昔から優劣を表すときに使われてきた言葉だ。
酒税法の分類はなにもお酒の優劣を判断するためのものではなかったが、言葉のイメージは強い。
「乙類焼酎」=「旧式で劣るもの」というイメージがついてしまい、それは必然的に「乙類焼酎」である霧島焼酎へも負の影響をもたらしてしまうものだった。
経営者でありながら、日本有数のブレンダーとしての顔をもっていた順吉。
「1/1000の味の違いがわからなければ失格だよ」が日頃からの口癖だった。
焼酎のおいしさに並々ならぬこだわりをもっていたのだ。
それなのに、分類名に左右されて、消費者の中にも乙類焼酎を低く見るような風潮が出てきてしまったことが、悔しくてしょうがなかった。
この理不尽な境遇を、なんとしてでも変えてみせると決心したのだ。
そして、1957年。ついに、その時は来た。
焼酎造りの制度改正や需要開拓の取り組みを行う「九州旧式焼酎協議会」が、熊本県人吉市で開催された。
そこで順吉は「乙類焼酎を本格焼酎と表示できるようにしてはどうか」と提案したのだ。
昔ながらの蒸留方法だからこそ古い印象になるのであれば、それが前向きな印象になるような言葉にしてイメージを転換すればいいというアイデアだ。
しかし、世の中の逆風を受けていた多くの焼酎メーカーの腰は重く、すぐに業界全体の賛同を得ることはできなかった。それでも順吉はあきらめなかった。
1958年から、順吉はそれまでの「名産霧島焼酎」の表示を取りやめ、看板などの広告に「本格焼酎霧島」の呼称を使い始めた。
誰かに自社商品のことを話すときも、必ず「本格焼酎」という言葉を使うようにした。
地道に、あきらめず、ひたすらに「本格焼酎」を広める取り組みを積み重ねたのだ。
その甲斐あって、ついに順吉の念願は叶った。
1962年4月、「本格焼酎」という呼称が大蔵省令で正式に認められたのだ。
「九州旧式焼酎協議会」に提唱した日から、5年の歳月が経っていた。
乙類焼酎の中でも一定の条件をクリアしたものは「本格焼酎」と呼称され、これが「本格焼酎」文化の幕開けとなったのである。
「本格焼酎」と呼称される条件(単式蒸留焼酎のうち、以下のアルコール含有物を蒸留したもの)
- 穀類又はいも類、これらのこうじ及び水を原料として発酵させたもの
- 穀類のこうじ及び水を原料として発酵させたもの
- 清酒かす及び水を原料として発酵させたもの、清酒かす、米、米こうじ及び水を原料として発酵させたもの又は清酒かす
- 砂糖(酒税法施行令第4条第2項に掲げるものに限る)、米こうじ及び水を原料として発酵させたもの
- 穀類又はいも類、これらのこうじ、水及び国税庁長官の指定する物品(あずき、アロエ、かぼちゃ、牛乳、くり、ごま、ピーマンなど)を原料として発酵させたもの(その原料中国税庁長官の指定する物品の重量の合計が穀類及びいも類及びこれらのこうじの重量を超えないものに限る。)
参考:焼酎に関するもの-国税庁(https://www.nta.go.jp/)
その後、「本格焼酎」という言葉は世間一般に使われるほど浸透。
その基準もより細かく設定されるなど、確固たるポジションを築いてきた。
本格焼酎ブームも訪れ、酒税法の分類による悪影響はもはや風化したも同然だ。
もしあのとき「本格焼酎」を提唱してなければ、どうなっていただろうか。
その結果は、想像に難くない。
「本格焼酎」は、順吉の焼酎造りへの誇りが生んだ焼酎史の分岐点になったのである。
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