2021.08.26

非常識と言われた黒霧島のラベル。だから、正解だと信じられた。

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1998年に生まれた黒霧島。
お馴染みとなったラベルの開発秘話に迫る。

「ダメと言われたときが、スタートなんです」
霧島酒造の代表取締役専務である江夏拓三は、黒霧島の開発当時に想いを馳せながらそう語った。

その道のりは、決して平坦なものではなかった。
必要なのは、長年の苦心の末にたどり着いた黒霧島のコンセプトにふさわしいラベル。
全国の1000を超えるラベルデザインを見ても、どれもピンとは来ない。

「黒」という字に徹底的にこだわったデザインを50種類ほど用意して、その手でボトルに貼って確認もしたが、やはり納得いくものにならない。
書体が違うのか。色か、絵柄か、何が足りないのか。
1ヶ月2ヶ月とラベルデザインが決定しないまま、忙しい日々だけが過ぎ行く。

そんな中、デザインがひらめいたのは、意外なタイミングだった。
「都城市から宮崎市方面に向けて車を走らせてた時に、天神トンネルに差し掛かったんですよ」
拓三は、当時の状況をつい先日のことのように語った。
暗いトンネルでも見えるように、カーナビの色が反転して、背景が白から黒に変わった。
その瞬間に、デザインのことが頭から離れなかった数ヶ月の重みがすっと抜けたような感覚がした。
「これでいいんだと思ったんです。元からあった霧島のデザインを大きく変える必要はない。色を反転させて黒で構成すればいいんだと」

しかし、拓三のラベルデザイン追求は、それで終わりではなかった。
黒霧島は、それまでの焼酎の概念をくつがえして完成した、新しい焼酎。
ラベルデザインにも新しい挑戦をこめたい。
その思いのもとで、デザインの細部にもこだわりつづけた。
それまで焼酎瓶の肩ラベルに文字を入れた焼酎はなかったが、黒霧島はあえて肩ラベルに「黒」を記述。
ボトルに巻いたときの立体感をねらい横向きの平行線である万線も入れた。
黒地に金文字を入れるデザインは、京都の呉服屋で目にした、黒色の着物と金色の帯の組み合わせからも発想を得た。

「ずっと考えつづけることが必要なんですよ。アイディアもそうでしょうが、一生懸命やると、必ずひらめきが訪れるんです」

渾身のラベルデザインはできた。さぁ、いよいよ商品化だ。
拓三は、取締役会で承認を得るために、説得材料を山のように集めた企画書を用意した。
しかし、結果は、散々たるもの。
理由は、食品業界で黒色をパッケージデザインに使う前例がなかったことだ。

なんということだろう。
いくつもの前例をくつがえしてできあがった黒霧島とそのラベルデザインが、前例がないことを理由に拒否をされたのだ。
「葬式用の焼酎を作るのかと言われたね。会議に出席していた経営幹部全員から反対されて、孤立無援の状態だったんですよ」

しかし、拓三は諦めなかった。
二回目、三回目の取締役会でも採択は得られなかったが、四回目の取締役会では、ある作戦を用意して臨んだ。
それがネクタイだった。

「取締役会でこのネクタイを見せたら、いいデザインだね、なんて言われたんです。だからそのとき言いましたよ。実はこのネクタイは、ダークトーンに金色の装飾のあるデザイン。つまり黒霧島のボトルデザインと同じなんですよ。皆さんがほめてくださったネクタイは、皆さんが否定したデザインと同じですよと」
作戦勝ちであり、粘り勝ちでもあった。
拓三のこのネクタイをきっかけに、ついに取締役会で承認が得られた。
そして、今日のあの黒霧島のラベルデザインが生まれたのだ。

取締役会で反対され続けた日々を振り返って、最後にこう語った。
「取締役会で、否定されるのは悲しいですよ。でも、ダメと言われたときがスタートなんです。ダメと言われても、はいそうですか。と受け入れるのではなく、何か素晴らしく大きなことを実現するのだというイメージを持ち続けることが大切なんです」

黒霧島が生まれて二十数年。
いまや全国の居酒屋やご自宅でお馴染みとなったラベルデザインは、霧島酒造にとって、逆境を乗り越えるシンボルであり続けるに違いない。

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