この水への想いがあふれて、「霧島裂罅水」という名になった。
- #歴史
- #造り
霧島酒造の焼酎は、霧島裂罅水(キリシマレッカスイ)100%。
焼酎造りの“おいしさの源泉”を紐解く。
60年以上前の、ある日の夕方ごろ。
霧島酒造の敷地で、それはそれは大きな水柱が立ち上がった。
「ものすごい勢いでね。どこに逃げようかと思いましたよ」
霧島酒造の代表取締役社長である江夏順行は、
当時の興奮が、今もなお冷めやらぬ様子で語った。
順行が小学生だった1955年、深刻な水不足が発生。
順行の父であり、当時の代表取締役社長を務めていた江夏順吉は頭を悩ませていた。
霧島酒造の本拠地がある宮崎県都城市は、非常に水はけの良いシラス台地によって形成されている。
理論上では、霧島山系に降った恵みの雨が、地下に大量に蓄えられていることは分かっていた。
しかし、現実は厳しく、掘り進めてもいっこうに水源は見当たらない。その上、固い岩盤にぶち当たり、1日に15~20cm程度しか掘り進めない日々が続くようになった。
水が出る保証もない。極限まで追い詰められていた。
しかし、待ち望んでいた瞬間は訪れたのだ。
順行が学校から帰宅すると、岩盤の下で高圧状態だった地下水が、すさまじい勢いで噴出していた。
「夕日の中、水柱が立った光景が目に焼き付いているんです」
あたり一面が水浸しになる中で、順行は、驚きのあまり、大きな水柱をじっと見つめていた。
掘り当てた水は、量も質も期待していた以上のものだった。
もともとは霧島連山に降った雨。
シラス層や火山灰土壌を通りながら永い年月をかけて自然に磨かれ、地下100mほどの岩盤の割れ目に蓄えられる。
適度なミネラルを含み、酵母菌の発酵に最適な条件を備えていた。
つまり、焼酎造りにうってつけの水だったのだ。
ただの「地下水」と呼ぶのではなく、ぜひとも名前をつけたい。
順行は入社して間もなく、その水にふさわしいネーミングをつけた。それが、「霧島裂罅水(キリシマレッカスイ)」だ。
「百科事典を調べて、岩の割れ目から出る水が裂罅水だと知り、これだ!と思ったんです。破裂音も入っていて、勢いがある」
一方で「霧島裂罅水」だなんて、そんな難しい文字を使っていては覚えてくれるわけがないという反対意見もあった。
そこで、「霧島裂罅水」を知ってもらうためのテレビCMを流すことにした。
しかし大きな予算はかけられない。
順行は、自ら自宅の蛇口から出る水音の録音を行った。
試行錯誤を凝らした、手作りのテレビCMの反響はとても大きなものだった。
世界のミネラルウォーターを研究する本でも取り上げられ、焼酎だけではなく、コーヒーにも合う水として取引を求める専門店もあった。
「霧島裂罅水」の名は、霧島酒造だけではなく、日本の水の歴史に刻まれていったのだ。
現在、直営施設である「焼酎の里 霧島ファクトリーガーデン」には、
無料で開放されている水汲み場『霧島裂罅水の泉』がある。
地元の方や観光で訪れる方が、「霧島裂罅水」を汲みにくる場所だ。
「水汲み場は、当初は通行の邪魔にならない場所という話だったけれど、あえて邪魔になる場所に設置しました。それがいいんですよ」
いろんな人が集い、水を汲むことで、そこから地域のつながりが生まれる。
焼酎造りは装置産業になってしまってはいけない、温かな風景を絶えずつくり続けなければならないという使命感がそうさせたのだ。
「霧島裂罅水は、この地域が育んできたもの。そこへの感謝をなくしたら駄目だと思うんですよ。だから、こだわりたいんです」
いまや焼酎造りに欠かせない「霧島裂罅水」は、地域とのつながりにも潤いをもたらす霧島酒造の“宝”になっている。
※20歳未満の方へのお酒に関する情報の共有はお控えください。