2024.05.28

その一杯には物語がある。世界が欲した“生命の水”。

  • #歴史
  • #造り

人々の心を熱くする、
世界各地で生まれた蒸留酒の歴史をたどる。

フランス語ではeau de vie(オードヴィー)、ラテン語ではaqua vitae(アクアヴィッテ)。
“生命の水”を意味するこれらの言葉。
その昔、命を永らえさせる不思議な力があると信じられていた“蒸留酒”を指す言葉だ。
今ではブランデー、ウイスキー、ジン、テキーラ、そして日本の焼酎など、蒸留酒は世界のさまざまな地域でその土地に根付き、文化を形づくっている。

蒸留酒の歴史は紀元前にまでさかのぼる。
「海水を蒸留すると飲料になる。」
「ぶどう酒なども同じ方法で蒸留することができるだろう。」
かのアリストテレスが遺した言葉だ。
ワインのような醸造酒がすでに存在している古代ギリシアの時代に、ブランデーの原型を思わせる記録を遺している。
12世紀頃には、錬金術師たちが夢を追い求めるなかで、偶然か必然か“生命の水”として蒸留酒が造り出され、薬と称されるようになった。
人々の間に居場所をつくった蒸留酒は、やがてさまざまなルートで世界中に伝播していくこととなる。

さて、ひとくちに蒸留酒といっても、実にさまざまな種類があり、まったく異なる個性を持つのが面白いところだ。

『一杯のコーヒーはインスピレーションを与え、一杯のブランデーは苦悩を取り除く。』
ベートーヴェンの遺した名言でも知られるブランデーは、フランスを主産地とする、果実酒を蒸留したお酒だ。オランダ人が輸出していたフランス産のワインが、長い輸送に耐えられず酸っぱくなってしまうため、仕方なく蒸留して持っていったところ、ことのほか良い評価を得た。オランダ語で“焼いたワイン”を意味するbrandewijn(ブランデヴァイン)から転じて、ブランデーとして広まったとされている。偶然の産物が、生産に適した環境と相まって、需要を獲得した例だ。

起源は諸説あるが、ウイスキーの重要な製造工程である樽での熟成も、偶然の産物とされる。17世紀頃、イングランドとの合併後、重税に耐えられなくなったスコットランドのとあるウイスキー蒸留所は、密造を始めた。政府の目を逃れるために、樽にウイスキーを隠したところ、マイルドに熟成された琥珀色のウイスキーが生まれたという。

イギリスを主産地とする蒸留酒であるジン。元はオランダの医学教授が、ジュニパーベリーの利尿作用を活かした薬酒として使っていたものであるが、その飲み口の良さからお酒として流行したという。
※ジンの香りづけに使われる針葉樹の実

メキシコのテキーラは、リュウゼツランという植物の搾り汁を発酵、蒸留して造られるお酒だ。ハリスコ州のテキーラという地域で造られたものしかその呼称を認められていない条件の中で、世界4大スピリッツとしての地位を獲得している蒸留酒である。
いずれにしても、人々は“生命の水”、蒸留酒とは切っても切り離せない運命にあるようだ。
※ジン、テキーラ、ウォッカ、ラムのことを指す。

日本はどうだろうか。
日本に蒸留文化が伝わったのは、13~14世紀頃。どのようなルートで伝わったか定かではないが、琉球王朝に伝わった泡盛が最古の蒸留酒とされている。その後、蒸留技術が九州に伝わるとともに、さつまいもや麦、米など様々な原料との出会いを経て、焼酎が生まれている。

霧島酒造に遺る江戸時代の蒸留器「らんびき」の複製

前述の世界の蒸留酒と比べたとき、日本の蒸留酒の大きな特徴は、「麹」を用いるところである。蒸留技術の伝来当初、日本酒に使われていた黄麹を用いて焼酎は造られていた。しかし、温暖な九州では特にもろみが腐敗しやすかったため、雑菌の繁殖を抑えるクエン酸を生む黒麹が用いられた。さらには「白麹」の発見により、製造時の扱いやすさや味わいの幅が広がった。日本の焼酎は、麹菌とともに独自の発展を遂げてきたのである。

その過程で食前、食後ではなく、食中酒としての地位を獲得していったのも日本ならでは。日本酒を造りにくい地域で、蒸留技術と地元の材料を駆使して、おいしい焼酎を求めた人々の想いは察して余りある。

命の潤いを渇望する人々の流れとともに、世界中を旅した蒸留酒。その道のりで生まれた焼酎のルーツに想いを馳せながら杯を傾けるのも、また一興だろう。

この記事をシェアする

※20歳未満の方へのお酒に関する情報の共有はお控えください。