やわらかめの麺と出汁のきいたツユ
宮崎の“あたたかさ”を感じるうどん
宮崎ではうどん文化が定着しており、食事としてはもちろん、飲んだ後の締めの一杯としてもよく食べられている。江戸時代から四国との交流があり、明治以降は四国からの移住者が多かったことでうどんが根付いたようだ。讃岐うどんとは異なる独自の変化を遂げ、特に『釜揚げうどん』は宮崎を代表する郷土の味となった。専門店をはじめ、釜揚げうどんを食べられるうどん店は、宮崎市近郊で100軒以上にもなるのだそうだ。
釜でゆでた麺をツユにつけて食べる。麺もツユも、ツユに浮かぶ揚げ玉も各店が工夫を凝らしたもの。出汁のきいたツユがからむやわらかめの麺は、とてもやさしい味わいだ。そして、麺を食べ終わった後、丼に残ったツユをそば湯ならぬ“うどん湯”に入れて割り、吸物のようにして飲むことを勧める店が多いのも宮崎ならでは。昆布、カツオ節、イリコ、干しシイタケなどをぜいたくに使った出汁の風味を最後まで楽しめる。
宮崎県を象徴するような“あたたかさ・ぬくもり”を持つ『釜揚げうどん』。だれやめ(だれ=疲れ、やめ=止め。一日の疲れを癒すために焼酎を飲むことで、南九州で昔から使われる言葉)の締めに食べれば、よりおだやかな気持ちになれそうだ。
江戸時代、現在の宮崎県は幾つかの藩に治められた土地と天領に分かれていた。諸藩としては延岡藩、高鍋藩、佐土原藩、飫肥藩、薩摩藩、そして椎葉と米良地区の山村は人吉藩が治めていた。天領は宮崎、本庄、国富、穂北(西都)、富高(日向)など。宮崎市界隈は厳しい圧政を受けなかったため、自由な雰囲気の中、様々な地域との往来があり、その中で四国とも交流があったようだ。
明治時代、四国から農業技術者が迎えられ、宮崎の農業の基礎を築いたという記録が残っている。その関係もあり、明治時代以降の四国からの移住者も多かったようだ。
宮崎の『釜揚げうどん』は、讃岐うどんとは異なる味わいを持つが、以上のような歴史から、そのルーツは四国にあると考えられている。
小麦粉と塩水のみで作る麺は各店特製。自家製麺を使う店も多い。ゆで時間に影響する太さや形にも各店の特徴がある
大きな釜で注文が入ってからゆで始める。使いこんだ羽釜を見ることも多い。ゆであがりは、麺の状態を見たり、麺に触れたりして判断する
昆布、カツオ節、イリコ、干しシイタケなど出汁の材料は各店様々だが、味付けは醤油とミリンだけというシンプルなところが多い
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