基本的な材料は、米ぬか、塩、水、山椒の実、唐辛子、柚子の皮、昆布など。その中で乳酸菌や酵母菌が発酵を続けている。各ぬか床特有の菌も存在する
醤油、酒、砂糖など基本的な調味料は煮付けをする時と変わらない。そこにぬか床が加えられることにより美味となり、保存食にもなる
ある程度炊いた後、ぬか床を入れる。身が柔らかいので、ぬか床を入れた後は弱火でコトコトと炊くが、炊き方にも細かな工夫がされる
『お食事処 天ひろ』は、店主・松本智子さんのお母様が始められた天ぷら屋さん。小鉢として出していた魚の『ぬか炊き』が評判となり、メニューにも並ぶようになったのだそうだ。
「母は『ぬか炊き』を作るのがとても上手だったんです。今、私が作っているのも、母の味、うちの家庭の味ですね」。
『ぬか炊き』を作る上で欠かせないぬか床を、松本さんはお母様から教わったやり方で大切に守っている。
「1日に2回くらい、毎日手で混ぜるだけなんですけどね(笑)。うちは、野菜を漬ける時に混ぜて、出す時に混ぜて、という感じでしょうか。
そして、混ぜた後は表面を平らにして軽く叩いておくだけ。ただ、毎日やらないといけなので、1泊2日の旅行しか行けません(笑)。行く前にしっかり混ぜて、帰ってきたらすぐにしっかり混ぜるという具合です(笑)。ぬか床の中身は、米ぬか、山椒の実、赤唐辛子、塩、昆布です。ぬか床を増やす時に、それらを加えるんです。ぬか床は、家にある大きな瓶で増やしてから、店に持っていきます。大きな瓶の中で育てるほうが、新しい米ぬかの割合が少なくなるので、早くできあがるんですよ。ぬか床は野菜を漬けることによって味わいが深くなります。うちでは、漬けた野菜はすべてお漬け物としてお客さんに食べてもらいますが、家庭では、食べなくても、大根のしっぽや、くず野菜をぬか床に入れておくだけでも、味が良くなりますよ。夏は発酵が早いので注意が必要ですね。例えばキュウリは、冬だと夜に漬けて次の日にできあがるくらいですが、夏だと6時間くらいでできます。それから、うちで漬ける野菜はキュウリやニンジンが中心です。ぬか床をゆるめたくないので、白菜などの葉物は入れずに、まろやかな味を保たせるようにしています。水分が増えると酸味が増してしまうんですよ」。
松本さんが、お母様から引き継いだぬか床のルーツはどこにあるのだろうか?
「今のぬか床は、母の祖母が、八幡空襲(1944年6月16日)の後、すぐに作ったものです。その時まで伝わっていたものがあったそうなんですが、空襲で燃えてしまったんです。ですから、現在は、70年くらいのぬか床ということですね。ただ、10年のぬか床でも、70年のぬか床でも、きちんと手を入れてさえいれば、美味しいものだと思うんですよ。3年くらいのものでも、美味しいものもありますからね」。
イワシの『ぬか炊き』作りも見せていただいた。
「魚はイワシやサバを使います。さばいたイワシを鍋に並べて、お酒と醤油を入れます。
火をつけたら、みりんを入れて砂糖を入れますが、すべて目分量。うちは100%目分量です。本当に家庭料理ですね(笑)。イワシの大きさも、作る量も、毎日違いますからね。
30分ほど炊いた後、ぬか床を入れてさらに2時間ほど炊きます。
ぬか床を入れると、とても焦げやすくなるので、とろ火ですね。
とろ火にするのは、ぐつぐつ煮込むと魚が崩れてしまうという理由もありますね。炊き終わったら、急速に冷ますのではなくて、一晩寝かせて味を染み込ませます。そのほうが美味しいですからね」。
昨日料理されたイワシの『ぬか炊き』を食べると、骨までやわらかく、コクのある旨味。甘味の中に、ぬか床に入っていた山椒の香りも広がり、青魚の臭みはまったくない。
「イワシは脂のノリがよくて美味しいですね。小骨が苦手な人には、サバの『ぬか炊き』がおすすめかな。うちのは少し甘口の『ぬか炊き』だと思います。焼酎とごはんがよく合いますね。母から教わったものをやっているだけで、オーソドックスなものです。あんまり難しく考えていません(笑)。昔の子どもたちは、煮汁をごはんにかけて食べていたんだそうです。だから、うちでもよく『ごはんに煮汁をかけて!』と言われます。懐かしがってくださる方も多いですね。余った煮汁を、うちではチリメンの『ぬか炊き』に使います。汁気がなくなるまで、かき混ぜながら煮詰めるので重労働ですが(笑)、イワシやサバのエキスも染み込むので美味しいですよ。それも母が作ってくれていたものです。ちりめんの『ぬか炊き』を茶漬けにするのも美味しいですよ!」。
ぬか床の思い出話も聞かせていただいた。
「悪いぬか床は、触ってもわからないんですが、なめたらわかります。苦みや、強すぎる酸味、臭みなどがあるんですよ。幸い、私はまだやったことがないんですが、そんな時にどうするかという対処法を母から2つ教わっています。1つは『ぬか床が臭くなったら、消し炭をガーゼにふくませて、ぬか床の表面にのせておく』ということ。もう1つは、『ぬか床に酸味が出てきたら、卵を割って白身と黄身を出し、内側の薄皮をはいだ殻だけを入れておくといい』ということ。今ほど物がない時代だったと思うのですが、まわりにあるものでなんとかするという知恵はすごいですよね。母は季節毎にぬか床の作り方を1人に1回だけ教えていました。うちにあるぬか床を分けるのではなくて、ゼロから作るところを見せていたんです。ぬか床を簡単に分けてしまうと、手入れをせずにすぐにだめにしてしまう方が多いですからね。私は、母から教えられた通りにやっているだけですが、このぬか床を守っていかなければならないと思っています」。
70年ほど続くぬか床の中身は、米ぬか、山椒、唐辛子、塩など。白菜などの葉物を入れないことで酸味を抑え、まろやかな味を守る
調味料は酒、醤油、みりん、砂糖。さらに野菜の旨味も溶け込んでいるぬか床を加えることで、深い味わいが生まれる
さばいたイワシに調味料を加えて30分ほど煮た後、ぬか床を入れてとろ火で2時間ほど煮込む。一晩置いて味を染み込ませる
天ぷら料理に小鉢として付けていたぬか炊きが評判となり、看板メニューにもなったとのこと。70年ほどになるぬか床は、白菜などの葉物を入れないことで酸味を抑え、まろやかな味を守っている。イワシの『ぬか炊き』は、ぬか床を入れて2〜3時間炊いた後に一晩寝かせることで、ぬか床の旨味が染み込む。チリメンの『ぬか炊き』も美味。