九州の味とともに 春

宮崎 飫肥の天ぷら

豆腐と黒砂糖も使われる
ふわふわで甘い魚のすり身揚げ

“九州の小京都”とも呼ばれる宮崎県日南市飫肥(おび)は、飫肥城を中心とした城下町。江戸時代の武家屋敷や街並みも残り、風情ある佇まいを今に残している。『飫肥の天ぷら』は、江戸時代から作られていたという飫肥に伝わる郷土料理だ。

“天ぷら”と言っても、素材に衣をつけて揚げる“天ぷら”ではない。魚のすり身と豆腐などを混ぜ合わせたものに、調味料を加えて油で揚げたものだ。豆腐を加えることで、やわらかな食感を持つことが特徴のひとつ。そして、もうひとつの特徴は、酒や醤油などの他に、調味料として味噌と黒砂糖を使うこと(現在は、より精製した、きび砂糖や白砂糖も使われている)。これは、日南で味噌味が好まれること、江戸時代に飫肥藩が特産品として、黒砂糖を作ることを奨めていたことに由来する、と考えられている。

香ばしいきつね色に包まれているのは、ふんわりとした生地。魚のすり身が入っている練り物だが、カマボコやチクワとは、まったく違うやわらかさだ。

甘味が強いのは日南ならではの味付けで、子どもたちのおやつにもなる。また、地元では、ごはんのおかずや、焼酎のつまみにする方も多いとのことだ。

飫肥について

飫肥城下町保存会・長友禎治さんに、まず飫肥の歴史についてお話をうかがった。
「飫肥の街は戦国時代からあり、1450年には城もあったようです。その頃の城は土塁でして、石垣になったのは江戸時代からですね。城は室町時代には島津氏が治めていました。飫肥から近い油津(あぶらつ)と、外浦(とのうら)の港が、中国との貿易の中継地として重要だったため、飫肥も重要な場所と考えられていました。その後、豊臣秀吉の時代から江戸時代が終わるまでは、伊東氏が治めて町割が形成されました。西南戦争の時は、宮崎県の中央と北部は西郷隆盛たちの通り道となったため被害を受けていますが、飫肥は県の中央から離れていたので、戦いに巻き込まれることもなく、難を逃れた町並みは、昔のままの姿を残すことができました。昔から残る街並みと街づくりが評価されて、昭和52年に九州初となる『重要伝統的建造物群保存地区』に選定され、電線を地中に埋めました。電柱がない街は風情がありますね」。

続いて、黒砂糖のお話もうかがった。

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「江戸の後期あたりからどこの藩も財政が厳しくなり、少しでも藩を豊かにするためどの藩も特産品の生産に対して熱心でした。特に九州の大名は熱心だったようですね。それで、飫肥藩もさとうきびの栽培を始めたわけです。四国からさとうきびの栽培に長けた職人を呼びよせ、さとうきびを作り、黒砂糖を作ったんですね。そのことと、当時は甘いものが何よりのごちそうであったということから、飫肥や日南界隈では料理の味付けに甘いものが多いようです。現在も、醤油は甘いし、スーパーなどで売られている惣菜も特別に甘くしているようです。昔、食堂で砂糖をかけたカレーを出された事があるという話を聞いたことがありますよ(笑)。『飫肥の天ぷら』も甘い料理ですね」。

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「飫肥の天ぷら」、三様。

三人の料理人が語る、それぞれのこだわりとは

この料理の"味のキーワード"
材料

アジ、シイラなど日向灘近海で獲れる魚のすり身と、豆腐が主な材料。ゴボウなどが加えられることもある

味付け

酒、醤油の他に、味噌、黒砂糖で味付けされる。現在は、黒砂糖の代わりに、より精製した、きび砂糖や白砂糖も使われる

揚げ方

形を整えて油で揚げ、表面がきつね色になったらできあがり。木の葉型が基本だが、ちぎり天にしたりすることもある

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