各店が吟味した黒豚の肉を使っている。とんかつに適しているのはロース肉とヒレ肉だ。肉をやわらかくする工夫がされることも
小麦粉・卵・パン粉・油の選び方と揚げ方は、料理人の腕の見せ所。油から取り出した後、余熱で仕上げるのもポイントだ
肉の旨味を引き出すために甘味と酸味のバランスを考えたソースは、各店のオリジナル。塩だけで食べることを勧める店もある
「当時仕事をしていた東京で初めてとんかつを食べた時、とても感激したんです。世の中にこんなに旨いものがあるのかと思いましたね。この出会いが自分の人生の始まりだと思い、料理の道に入ろうと思いました。料理屋でも勉強しましたし、畜産場でも仕事をしましたよ。豚のことを知らないと、本当のとんかつを理解できないと思ったんです」。
とんかつを、こよなく愛する『味のとんかつ 丸一』の店主・武良章さんは、鹿児島の地にお店を出して30年になる。
「鹿児島は地元にいいもの(黒豚)があるのに、地元に流通はしていませんでした。定食屋さんの一つのメニューとして、とんかつ定食はありましたが、とんかつの店はなかったですね。鹿児島ではその頃、家でもできるとんかつを、なぜ店まで行って食べなきゃならないの?という時代で「とんかつに辛子をつかって下さい」などとすすめると、お客が怒ったことも多々ありました(笑)。初めは東京に店を出すつもりだったんですが、私の師匠に『食を広めるのも仕事だ』と言われたんです。それで、地元・鹿児島で始めることにしました。“とんかつ文化”を育てるために、種をまいて、水をやって、実がなるまで…命がけでやろうと思いました。ちょっと大げさに言うと、とんかつを通して、鹿児島の食文化の向上を目指していたんです。目立たないビルの地下だけど、ずっとこの場所でやっています。地方都市の良さというのもありました。出身地を尋ねられて答えると、ああ私も、うちの親戚も同じ、などですね。そして、『また家族と来ます』と言ってくれてね、ほんとに来てくれました(笑)。地元のお客さんの8割くらいの方については、いろいろなことを把握していますよ(笑)」。
武さんの仕事場はカウンターの内側。カウンターに座れば、武さんのすべての仕事を見ることができる。
「隠すところは、無いですからね(笑)」。
上ロースを揚げていただいた。美しい肉のかたまりを厚さ3cmほどにスライスする。
「肉は『かごしま黒豚』のロース肉。昨日さばいたものを、冷蔵庫に入れて寝かせておいたものです。1枚340〜350gくらいありますよ。
中にある血管を取ってきれいにした後は、ミートハンマーで表面を平らにならすように軽くたたきます。いい肉はやわらかいから、激しくたたく必要はないんですよ。たたいた後、軽く塩をふっておきます」。
分厚いロース肉の表面に小麦粉をまぶし、溶き卵を付けて、パン粉を付ける。
パン粉は特製の食パンから作る生パン粉だ。
「特別に作ってもらっている最高の食パンです。トーストにしても旨いんですよ!」
肉を揚げる大きな鍋の中には、ラードが満たされている。
「この鍋には一斗半(27リットル)入ります。うちは100%ラードですよ。白絞油(しらしめゆ)の4倍くらいの値段がしますが、豚にはラードが合うんです。ラードのかたまりを熱すると、溶けて、初めは透明ですが、15分もすると茶色になりますね。うちはフライヤーではなく、ガスと鍋ですから、常に火加減を調整して鍋の中の温度を調節しています。天ぷらを揚げる温度は170度くらい。とんかつは、揚げると、煮る、の中間くらいの感覚なので160度にしています」。
衣のついた豚肉が鍋に入れられるところが、見せ場なのだそうだ。
「入れた時にきれいな泡が吹きあがりますからね。上ロースだと、1度に9枚揚げることができて、10〜11分はかかります」。
時折、鍋の中で浮かんでいる肉は、太い箸で動かされる。
「この箸は孟宗竹(もうそうちく)で作られたものです。厚みのある肉だから、太くないと挟めないんですよ。鍋の中で熱の対流があるので場所を変えているんです。私の作り方は、肉の場所を変えても、上下はひっくり返しません。表面のパン粉が立ったように揚がるのがいいですからね。
初めはシュワーシュワーという音ですが、だんだんと変わって、最後はピシッピシッという音になってきます。
8割方揚がったところで鍋から出して、あとは余熱で蒸すという感じですね。2分ほど蒸していますよ」。
揚げる音も旨そうだが、包丁で切る時のサクッサクッという音も食欲をそそる音。店内には音楽などは流れていないが、揚げる音や、切る音が素晴らしいBGMだ。
できあがった『上ロースとんかつ定食』には、たっぷりのキャベツの千切りとごはん、味噌汁が付く。美味しい食べ方も伝授していただいた。
「辛子を塗って、ソースをかけて、レモンを絞って、さあどうぞ!(笑)。ソース作りにも5年くらいかかりましたよ。トンカツにも、キャベツにも合うものじゃないといけないし、辛子にも合うソースじゃないとね」。
マイルドで、甘味と酸味が絶妙のソース、辛子のアクセント、爽やかなレモンの風味。衣のサクサク感、適度な歯応えもありつつ、口の中でとろけていくような赤身と白身。肉汁もジューシーだ。その味わいにごはんもすすむ。
「米は秋田県・大潟村ファームのあきたこまちです。とんかつ単体ではなくて、ソースもごはんも味噌汁もあってのとんかつですからね。それとね、もう一つ大事なものがあります。それは気持ちです。私という“トンカツばか野郎”の気合いね(笑)」。
とんかつの歴史や食文化的な見地からのお話もいただいた。
「明治初期に東京で天ぷら屋が豚肉を揚げたようですね。その後、パンが来て、カツレツが伝わり、とんかつが生まれたようです。現在、東京で200軒、関東圏では400軒くらいのとんかつ屋があるようですよ。とんかつは、日本の食文化の最高傑作だと思います。和でも洋でも中華でもありません。中華には、油を使った揚げ物はありますが、とんかつみたいに、たくさんの油の中に長く入れておく料理はありません。日本で生まれた料理ですね。そして、『かごしま黒豚』は旨いと思います。ほどよい弾力性があって、普通は脂身と言われる白身にも、甘味がありますしね。これは飼料の影響も大きいのです。通常の豚の飼料はトウモロコシばかりだけど、鹿児島の黒豚は、サツマイモを入れたり、茶を混ぜたりしていますからね。『かごしま黒豚』は普通の豚より値段は高いけど大きさは小さいです。けれど、美味しさがぎゅっと詰まってると思いますよ(笑)」。
『かごしま黒豚』の肉をさばいたものを冷蔵庫で一晩寝かせて使う。中にある血管を取り、きれいにした後は、ミートハンマーで表面を平らにならす
特製食パンから作る生パン粉を衣にして、160度の100%ラードで10〜11分揚げる。8割ほど火が通ったら鍋から取り出し余熱で仕上げる
5年をかけて開発したソースは、トンカツにもキャベツにも辛子にも合う。マイルドで甘味と酸味が絶妙だ
鹿児島では、とんかつ料理のパイオニアとなる、昭和58年オープンのとんかつ専門店。上質の『かごしま黒豚』をラード100%で揚げる。パン粉は特製の食パンから作る生パン粉、キャベツとも合うまろやかなソースは、5年をかけて作り上げたという特製。米もあきたこまちやコシヒカリと、すべての素材が一級品だ。人気の『上ロースカツ定食』は肉の重さが350gという迫力。